テレグラムとSignal、結局どっちが安全なんですか?
これは当店にも本当によくいただくご質問です。そして今回は、さらに一歩踏み込んだバージョンをいただきました。
「テレグラムの『秘密のチャット』に限定すれば、Signalと同等と考えていいのか?」
いい質問です。マニアックで大変よろしい。
なぜいい質問かというと、これに正確に答えようとすると、「暗号の強さ」だけでなく、セキュリティのもうひとつの本質人間はうっかりする生き物であるに触れることになるからです。
まず大前提:テレグラムは「家に金庫がある」Signalは「家そのものが金庫」
この記事全体を貫くイメージを、最初に共有させてください。
テレグラムは、リビングに立派な金庫が置いてある家です。
金庫(=秘密のチャット)自体はそれなりに頑丈です。
ただし、金庫を使うかどうかは毎回あなた次第。うっかりテーブルの上(=通常チャット)に書類を置きっぱなしにしても、誰も止めてくれません。
しかもそのテーブル、実は管理会社(テレグラム社のサーバー)から丸見えです。怖いですね。
Signalは、家そのものが金庫です。
玄関を入った瞬間から、すべての部屋が金庫の中。
どこに書類を置こうが、外からは一切見えません。「金庫に入れ忘れる」という概念自体が、この家には存在しないのです。
このイメージを頭に置いて、中身に入っていきましょう。
意外と知られていない事実:テレグラムの「普通のチャット」はE2EEじゃない
まずここからです。テレグラムで普段やり取りしているメッセージ(クラウドチャット)は、エンドツーエンド暗号化されていません。
「え、暗号化されてるって聞いたけど?」と思った方。
半分正解です。
通信自体は暗号化されています。
ただしそれは「あなた ⇔ テレグラムのサーバー」の間の話。
つまり、サーバーの上では中身が読める状態で預かられているということです。
思い出してください。
テレグラムって、機種変更してもすべての履歴が魔法のように復元されますよね。
あれ、魔法ではありません。サーバーがあなたの全履歴を保管しているだけです。
便利さには理由があるのです。
E2EEになるのは、「秘密のチャット」を自分で手動で開始した場合のみ。ここが今回の話の出発点です。
秘密のチャットが「追いつく」部分
では、秘密のチャットを使えばどこまでSignalに近づくのか。
公平に、まず追いつく部分から見ていきます。
(1)端末間の暗号化(E2EE)
秘密のチャットでは、暗号鍵は両端の端末だけが持ち、サーバーは中身を読めません。
自己破壊メッセージにも対応し、転送もできない設計です。
「サーバーが中身を読めない」という一点においては、Signalと同じ土俵に立ちます。
(2)クラウドに残らない
秘密のチャットはテレグラムのクラウドには保管されず、その端末だけのものです。
クラウドにないので、削除後に復元されるリスクも下がります。
ここまでは素直に「よく追いついた」と拍手を送りましょう。しかし、話はここからです。
それでも差が残る4つのポイント(実務インパクト順)
第1位:「うっかり事故」が構造的に起こるかどうか
暗号の技術論より先に、あえてこれを1位に持ってきます。
なぜなら、現実のセキュリティ事故の多くは、暗号が破られて起きるのではなく、暗号が「使われていなかった」ことで起きるからです。
テレグラムの秘密のチャットには、運用上の落とし穴が3つあります。
-
毎回、手動で開始しなければならない。 普通に相手の名前をタップして送ると、それは通常チャット(=サーバーから見える方)です
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グループでは使えない。 秘密のチャットは1対1限定。3人以上の会話は、自動的に「テーブルの上」行きです
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パソコンでは使えない。 Windows/Linux版のTelegram Desktopやウェブ版は秘密のチャット非対応。PCから送った時点で、それは秘密のチャットではありません
つまり、「今日も金庫を使うぞ」と毎回意識的に決断し、グループでは諦め、パソコンでも諦める。この運用を一度もミスなく続けられる人だけが、秘密のチャットの保護を受けられます。
一日も欠かさず筋トレを続けられる人なら、あるいは可能かもしれません。
一方Signalは、何もしなくても常にすべてがE2EEです。
1対1もグループも、スマホもパソコンも。
「取り違え事故」という概念が設計上存在しません。家そのものが金庫なので、入れ忘れようがないのです。
第2位:暗号方式そのものの「検証の蓄積」
ここからは少し専門的な話です。せっかくなので、なるべくやさしく踏み込みます。
Signalが使うSignalプロトコルは、現代の暗号通信のデファクトスタンダード(事実上の世界標準)です。
中核となるダブルラチェットという仕組みは、メッセージを送受信するたびに鍵を「一方向に回転」させて更新します。ラチェットとは逆回転しない工具のこと。その名の通り、
- 後から鍵が漏れても、過去のメッセージは読めない(前方秘匿性)
- 鍵が一度漏れても、将来の通信はじきに再び守られる(侵害後回復性)
という性質があります。仮に今日スパイに鍵を盗まれても、昨日の会話は読めず、明日の会話もじきに読めなくなる。スパイとしては、かなりやる気を削がれる設計です。
さらにSignalは進化を止めていません。2023年には鍵交換の仕様を「PQXDH(ポスト量子拡張ディフィー・ヘルマン)」に更新し、将来の量子コンピュータへの備えを追加しました。「今のうちに通信を丸ごと録画しておいて、量子コンピュータが完成したら解読する」という、いわゆるハーベスト攻撃(Harvest Now, Decrypt Later)への先回り対策です。相手が生まれる前から対策する。用意周到にもほどがあります。2025年11月の仕様改訂では、ポスト量子ラチェットも追加されました。
対するテレグラムのMTProtoは独自開発のプロトコルです。
独自であること自体が悪いわけではありません。しかし暗号の世界には有名な格言があります。
「自作の暗号を信用するな(Don't roll your own crypto)」
重要なのは、第三者による検証の蓄積です。
その検証の代表例が、2022年にIEEEのセキュリティ会議で発表された論文。タイトルはその名も「Four Attacks and a Proof for Telegram(テレグラムへの4つの攻撃と1つの証明)」。タイトルからして味わい深いですね。
ロンドン大学ロイヤル・ホロウェイ校とチューリッヒ工科大学の研究チームがMTProto 2.0を詳細に分析し、一部修正を加えた変種には安全性の証明を与えつつ(ただし未検証の仮定つき)、修正前のプロトコルに対しては攻撃を示しました。
名誉のために言えば、発見された4つの脆弱性は理論的なもので、実際の悪用は極めて困難。テレグラムも論文の公開前に迅速に修正しました。壊滅的な欠陥ではありません。
ただし研究チームはこうも述べています。MTProtoの「もろさ(brittleness)」は懸念材料であり、別の設計を選んでいれば、開発者はタイミングリークなどをはるかに容易に回避できたはずだ、と。
要するに、「壊れてはいないが、壊れやすい作りをしている」という評価です。
Signalプロトコルが世界中の暗号学者に10年以上叩かれ続けてなお標準であり続けているのに対し、MTProtoは検証されるたびに「設計がもう少し素直なら…」と言われている。健康診断のたびに「今は大丈夫ですが、生活習慣がねえ…」と言われている状態、と言えばイメージが近いでしょうか。
第3位:透明性――サーバーの中は誰も見たことがない
Signalは、アプリ(クライアント)もサーバーも、ソースコードが公開されており、誰でも検証できます。
テレグラムは、アプリのコードは公開していますが、サーバー側のコードは非公開です。
通常チャットの暗号鍵を握っているのはそのサーバーなのに、その中身は誰も検証できない。
「金庫はお見せしますが、合鍵を保管している管理室には入らないでください」と言われているようなものです。……その管理室が一番見たいんですが。
第4位:メタデータ――「何を話したか」より「誰と話したか」
E2EEが守るのは、メッセージの中身です。
しかし「誰が・誰と・いつ・どのくらいの頻度で」やり取りしたかというメタデータは、中身と同じくらい雄弁に人間関係を語ります。毎晩23時に特定の相手とだけやり取りしていたら、中身が読めなくても、まあ、いろいろ分かってしまうわけです。
SignalにはSealed Sender(封印された送信者)という仕組みがあります。送信者の身元を受信者の公開鍵で暗号化して包み、サーバーからは「この不透明な塊をユーザーXに届けよ」としか分からなくする設計です。宛名だけ書いてあって差出人欄が空白、でも受取人だけは中の差出人を確認できる封筒、と考えてください。
この設計思想の違いは、法執行機関への対応実績にはっきり表れています。
Signalが召喚状に応じて開示してきたのは、「アカウント作成日」と「最終接続日」のみ。 システム自体がそれ以上のデータを持たないよう設計されているからです。渡したくても、渡すものがない。「データを集めない」設計の強さです。
一方テレグラムは、2024年に大きな方針転換がありました。
従来は「テロ容疑に関する裁判所命令があった場合に限り、電話番号とIPアドレスを開示する」としていました(そして透明性レポートによれば、実際に開示した例は一度もありませんでした)。ところが新方針では、対象が利用規約違反の容疑者全般に拡大されました。
結果、2024年通年で米国だけで900件の要請に応じ、2,253人のユーザーが影響を受けています。創業者パベル・ドゥロフ氏が2024年8月にフランスで逮捕された後、応諾件数が急増した形です。
誤解のないように付け加えると、開示されるのは電話番号とIPアドレスであって、メッセージの中身ではありません。犯罪捜査への協力自体は責められる話でもないでしょう。
ポイントはそこではなく、テレグラムのサーバーには「開示できるだけのデータがそもそも存在する」という構造的な事実です。
ないものは渡せませんが、あるものは渡せてしまうのです。
ここまでを表で整理
| 項目 | Signal | テレグラム |
|---|---|---|
| E2EE | 常時・全チャット | 手動開始の1対1チャットのみ |
| グループのE2EE | 対応 | 非対応(グループは常に通常チャット) |
| PC・マルチデバイス | 対応(E2EEのまま同期) | 非対応(秘密のチャットは発信端末のみ) |
| 暗号プロトコル | Signalプロトコル(世界標準・検証の蓄積大) | MTProto 2.0(独自・検証途上) |
| 量子コンピュータ対策 | あり(PQXDH+ポスト量子ラチェット) | なし |
| サーバーのコード公開 | 公開 | 非公開 |
| 送信者情報の秘匿 | あり(Sealed Sender) | なし |
| 当局への開示実績 | アカウント作成日と最終接続日のみ | 電話番号・IPアドレス(2024年に対象拡大) |
| うっかり事故の構造 | 起こりようがない | 常に隣り合わせ |
公平のために:Signalも万能ではありません
当ブログの流儀として、片方だけを持ち上げて終わりにはしません。
Signalにも弱点はあります。
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登録に電話番号が必要です(相手に番号を隠すユーザーネーム機能はありますが、Signal社への登録自体には番号が要ります)
- アカウント作成日と最終接続日という、最小限のメタデータは残ります
- 「Signalを使っている」という事実そのものは、通信経路を観察できる者には見えうる
また、テレグラムがチャンネルや大規模グループ、Botといった「メッセンジャーを超えたプラットフォーム」として優れているのも事実です。
情報収集ツールとしてのテレグラムと、秘匿通信ツールとしてのSignalは、そもそも土俵が違うとも言えます。
問題は、秘匿性が必要な会話をどちらに任せるか。その一点です。
まとめ:正確に言うと、こうなります
冒頭のご質問に、最も正確な形で答え直しましょう。
「秘密のチャットを正しく・毎回・間違えずに使い続けられれば、暗号化の核心部分ではSignalに近い。しかし、暗号方式の検証の蓄積、透明性、メタデータ保護、そして何より事故の起きにくさにおいて、依然Signalが上」
「追いつく」と「同程度」の中間、というのが実態に一番近い表現です。
そして実務的な結論はシンプルです。
金庫の性能を云々する前に――毎回手動で金庫の扉を開け閉めする生活と、家全体が金庫になっている生活、どちらで暮らしたいですか?
人間はうっかりする生き物だという前提に立つなら、答えはおのずと決まってくるのではないでしょうか。
最後にチェックリスト:今日からできること
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大事な話はSignalに寄せる(相手にもインストールしてもらいましょう。「なんで?」と聞かれたら、この記事を見せてください)
- テレグラムを使い続ける場合、通常チャットは「サーバーに読める状態で預けている」と認識する
- テレグラムで秘匿したい相手とは、必ず「秘密のチャット」を明示的に開始する(ただしグループとPCでは使えない点に注意)
- 「何を話したか」だけでなく、「誰と話しているか」も守りたい情報だと意識する
- アプリ任せにせず、端末側の防御(画面ロック、OSの完全性)も固める
端末そのものの守りを固めたい方は、GrapheneOSに関する当ブログの他の記事もあわせてどうぞ。
アプリの暗号がどれだけ強くても、端末が丸裸では意味がありませんので。


